SHINGOのバスプロまでの軌跡(軌跡)1部完結編
このバスプロSHINGOが誕生するキッカケを読んで如何感じましたか?
「ふざけやがって…」
と思いの方が多いと思いますし、自分でもそう思いますから(苦笑)。
では、これは…
『“偶然”or“必然”』
どちらでしょう?
現在も多くのバスプロが日本にいます。
JBだけで約500名程です。
(過去には約2000名以上のバスプロがいました…正確な数字ではありませんが…)
さらに
『バス・オブ・ジャパン』
『WBS』
『JBCC』
という団体があります。
それぞれバスプロ協会でもあるから各々プロ選手を抱えています。
希望選手は、毎年、毎年増えていますが、辞めていくバスプロ達も多くいます…。
「勝てないから…」
「忙しくなったから…」
「ルールが直ぐ変わるから…」
「他の釣りが面白くなったから…」
「スポンサーが付かないから…」
「…その他…」
という理由からです。
「変じゃないですか?」
各バスプロ達が、私のように偶然でも、実力でもバスプロになったのであれば“プロ”として何をしたかったのでしょうか?
私がJBの選手になり辞めない理由ですが、デビュー当時の昔は賞金を貰って好きな釣り具を買う。皆に自慢する。その他(笑)でしたが、最近(JBW…JBワールド選手になったあたり)では、
「JBの選手が、日本で一番強い選手達がいるから…この選手達を抑えて優勝し、A・O・Yを手にし“維持”したい」
頂点に立たなければ、世間の誰もプロとして認めてくれないと思うからである。
だから毎年毎年エントリーをしてます。
達成するまでは辞められない…応援してくれる方々がいる限り
…。
その為に、どう“生きるか?(生活していくのか?)”というテーマがある(苦笑)。
その為の何かが、SHINGOのバスプロまでの軌跡(奇跡)で見つかれば幸いですが…。
『“偶然”&“必然”』
【続き】
バスプロという道まで面接まで漕ぎ着けた私は、生まれて初めて河口湖にあるJBTA本部に挨拶に行った。
秋の深まりで朝、晩は冬である河口湖に高橋会長、プロショップオーナー、天ノ邪鬼メンバーと共に到着。私とショップオーナー以外は河口湖で釣り三昧。
「じゃあ、オレらは本場の河口湖で釣りをしてるから、面接頑張れよ!皆〜早く釣りしようぜ!!!」
「…なんだか罰ゲームじゃん…」
初めて見た山下会長は一生忘れないであろうインパクト満天で私の前に現れた。
「おや、君が今度バスプロ希望の子か」
「はぁ(注・だからココにきたんですが?)」
「元気がないなぁ」
「はぃ(注・関係ないだろう?)」
「どんな選手になりたいんだ?」
「負けない選手に(注・よくわかりません)」
…中略…
「仕事は何を」
「まぁ、会社の中にある分析業務の仕事をしています」
…中略…
「では、来年から認めますが、ルール等は大丈夫ですね」
「はぃ(注・ルール?知りません)」
こうしてバスプロ認定を受けて来年から選手になった、右も左も前も後ろも判らない私を待ち受ける過酷な日々を想像できますか?
さて、このまま続けていいのか?