正月とバスプロへの軌跡(奇跡)の続き

全くと言っていいほど“正月”を味わえない。

「まさか、まだ正月が来てないのでは?」

という錯覚に陥る。

皆様のブログを見て

「どうも正月らしい」

という事がわかる(注・もしかしてオレを騙しているか…?)。

餅が食べたい。
お屠蘇が飲みたい。
初釣りがしたい。
仕事がしたい。

・・・たい。

である。

続き

『天ノ邪鬼』で最高に面白い日々を自由に送った。 これも高橋会長のお陰である。

私は完全なる『自由人の血』が流れていると思う。3年前までは自分は気の強いサラリーマンで凡人であると思っていたのだが…。

3年程前に私の尊敬する隆先生が夢枕に立ち(注・他界)
「おまえは、苦界の人、道々の輩(ともがら)だな(笑)」
と言って頂き得心する事ができた。(“自由”とは、…後日説明しますが、殆どの人が理解できないでしょう…)

その、道々の輩である私は好奇心の塊である。
今は緩和されてきましたが、気にいらない事、モノ、人に対しては徹底していた感があり多くの方々に迷惑も掛けました(苦笑)。しかも見た目がこんなんだから余計です(笑)。

そんな印旛沼での出来事を話すと高橋会長が
「それで?やりたいのか?」

てっきり「そりゃー面白いや!やったるぜーー」と言うのかと思っていたのに…。

「まぁ、やってもいいかと」

「そうか、オレはやらない!応援はする」

「えッ?なぜですか?」

「釣りを仕事にしたくない!するとオレは自由でなくなるから…でッ、どうすればプロになれるんだ?」

「さぁ?(注・相棒も知らない)」

「じゃあ、何処の団体なんだ?」

「さぁ…たぶんバスプロ会みたいな処…(注・当時のJBTAで現在のJBである)」

「おまえら天才だ!!死んで来い!!(注・大バカ)」

そんな状態では無理・無謀と言うモノなので、この話は流れた。いや流れたかになった…。

陸っパリと印旛沼だけでは飽き足らず、『天ノ邪鬼の皆』で埼玉県と群馬県に跨る『神流湖』でボート屋さん主催の6月の大会に出場した。

結果、なぜか3匹釣り偶然にも私が2位になり、相棒が6位に会長が10位に入りました。

そして、牛久沼で9月に開催された天ノ邪鬼の大会ではバスオブジャパンのプロの選手を交えて、プロが優勝し、私が同重量の2位、相棒が4位に入りました。


すると当時、出入りしていたプロショップのオーナーが、
「バスプロに推薦してやる!」
「おおーー(天ノ邪鬼全員が驚き)」
「でも、一人しか推薦枠がないからなぁ…なれそうな4人でじゃんけんしな」
4人が前に出る
「えッ、どうする?(全員)」

「なるのって、いやだなぁ…」

「じゃぁ、ジャンケンで負けたヤツが来年プロになって、再来年からオレらも面白そうなら行くよ…」



「おしッ、それじゃーじゃんけんポン…」


あいこでしょー」


「…」


「あーーーSHINGOの負けだーーーー!!!!」

「えッ?オレの負け?」

こうして秋の深まり冬の11月の河口湖に行く事になった。

続く