謹賀新年と、軌跡の続き

2007年の賀正である。
燦然と輝く朝日は日本晴れである。

今年も

『波乱万丈上等』

『なぜ、ベストを尽くさないのか!オレ』

を心情に皆様が笑顔になれるよう精進致します。
今後ともご指導ご鞭撻の程を宜しくお願いします。

今年も猪突猛進で駆け抜けます。

2007年・元旦
SHINGO


【続き】

 『天ノ邪鬼』という釣りチームを作り日夜バスを戯れ、天ノ邪鬼チームが主催で2度埼玉にある権現堂で大きな釣り大会を開催した。200名近い参加者で大いに盛り上がった。
その他にチーム大会も年4回主催した。

この時も高橋会長が嬉々として精力的に動いたお陰で多くの参加者が集まったのを思い出すと同時にいけない事(バイオレンス)も思い出した(苦笑)。

この頃は釣り大会がチラホラと開催されている程度で腕自慢達があちこちの大会に参加しては、ただ商品をゲットする目的で遠方より集まってきた感じである。原因としては、バス用品の釣り具は高価でモノも少なかった為である。

同じように、あちこちの大会で上位に入る天ノ邪鬼メンバーは賞品ゲッターであったように思う(笑)。

この時の私の必殺技はゲーリーフラグラブのテキサスリグサターンワームのスプリットショットリグである。
この2つがあればブラックバスは簡単に反応してくれた良き時代である。

21才の春になり、時代が“昭和から平成”に移り変わった激動のバブル経済を無視して、春の印旛沼で私の運命を変える事件が起った

いつものように印旛沼に行くと大勢の釣り人でごった返していた。

「なんだ?今日はやけに人が多いなぁ…何かの大会があるのかな?」

しかも、当時は見た事もない最新式のアルミボートにエンジン、エレキを付けた当時のバスボートがゴロゴロ並んでいる。

よく見ると格好もプロのような人ばかりである。
“あさひなボートのおかあさん”も興奮気味で
「SHINGOさん、知ってるプロの大会なんだってよ」

「へェー?プロの大会なんだ?道理で道具が凄いよね(笑)」

「あの人が○○プロで、あの人が○○プロで…」

「知らないなぁ…雑誌で見たことはあると思うんだけど…興味ないから…」

「…」

「それよりも釣りがしたいので、もう出撃します〜」


と相棒と2人乗りで出撃しオールを全開で漕ぎ捲くり、春の“オレのポイント”に入り2人でポロポロ釣る。


「やっぱ、印旛沼は最高だね〜」


それから1時間位してからエンジン船が走り回る。
引き波も関係なく走り周り、オレ達の前後で釣りをするヤツラもいる。

「なんなんだコイツらは?」

釣れるオレ達を見て、一人が声を掛けてきた
「釣れた?」と気安く声をかけるので

「おまえが来るまではもっと釣れたよ」と答える。

「えッ、釣れたの?ココで、何を使って?何処で…」

「はぁ?(なんなんだオマエは?)」
しつこいのでシカトして他のポイントに移る。

しかし、そこにもプロがいた…
「最悪だなぁ」
「そうだね」


すると、そのプロは
「すみませんね、今日大会で来てますでお邪魔してます…」
丁寧な言葉で挨拶をされた。
「あ、いいえ(下手に出られると弱いよね)」

その人は私達の邪魔はしない距離で黙々と釣っている。
しかも、釣りをしている立ち振る舞いがかっこいい…今ふうで言えばスピナーベイトで各方向から手早く流して変化を感じたらテキサスを打つ。今度はクランクを…。

暫し見とれるオレ…
「へぇ、あーやって流すと効率がいいかも…ただ、印旛沼では難しいかも…」

何故だか私は突然「釣れましたか?」と声を掛けた。
すると照れながら3本指を立てて「なにぶん印旛沼は初めてなモノで…ありがとうよ」と言いながらエンジンを始動して駆け抜けて行った。

衝撃である。
初めてでオレの2番目に釣れるポイントに入ってくるとは…。

「なぁ、相棒よ世の中には凄い人がいるんだな」

「当たり前だ、プロだぜ。でも勝つと幾ら貰えるのかな?」

「…10万円位じゃないか?」

「一日で10万円じゃ、いい仕事だな(笑)」

そんなお気楽な会話をしながら午後も頑張り、怒られるのを覚悟で日が暮れるまで遊んだ。

あさひなボート屋さんに戻ると、おかあさんが
「おかえり、今日の大会凄かったよ優勝したら幾ら貰うか知ってる?」
あまり怒ってない?

「10万円位じゃないの?」

「50万だって(注・誰かに聞いたらしい)」

「え?50万(注・正確にはわからない情報)」

「それでね、5匹で4キロ位なんだ…」

相棒が反応した(注・守銭奴だから)

「50万?オレ達が釣った最大を5匹で5キロを超えてるよ、なぁ、SHINGO」

「まぁ超えているだろうなぁ」

「出れば良かったな、出たらオレ達が優勝だ!!50万あれば…出ようぜ?なぁ出ようぜ、ちょろいよ」


「ちょろいか?(この時に悪魔が囁いた“おまえが出ていれば…”と…)

「なぁSHINGO、天ノ邪鬼の会長に言って、みんなで出てさ、賞金を山分けだーーーー」


こうして、私の人生は“狂い”の岐路を選び曲がり始めた。この後は、まるで自分ではどうすることもできない流れに巻き込まれ事になろうとは露知らずに…。

続く