バスプロデビューイヤー最終編

【続き】

 兎に角、衝撃的(?)なデビューであったと思う。語るに赤面してしまう初心者であった。偶然ジャンケンで負けたとはいえJBTAのバスプロになるとは…。しかも優勝した賞金の使い道だけを考えて…(正に獲らぬ狸の皮算用を地で行くは…)。

 まともなバスプロに更正するまでに後3年がかかりますが、波乱万丈の展開をする運命にあるのですが…(苦笑)。


 まぁ、新入社員で新人バスプロという無理無茶をやってはみたモノの…全て上手くいかない。河口湖、琵琶湖と転戦をするも経験不足、人間的な成長不足でもあった。

【内容】
初河口湖は、デビュー試合で玉砕。
初琵琶湖は、当然のごとく玉砕。
2度目は、河口湖にて初プリプラでキャロを覚える。
3度目は、河口湖で自業自得のミスの連続で玉砕。

総合得点は15点である(参加点の5点X3試合)。
総合順位200番後半。

である。

得たモノは
「長距離運転の必要性、プリプラ、プラの大切さと個人の力量、仲間の大切さ…等々等々等々等々…」

こうしてバスプロデビューイヤーは幕を閉じた。
(総試合数は年間6戦であるが3試合以上出場していれば来年度の参加権はある…当時のJBTAルール)

「果たして、今後は会社の仕事と試合の両立はできるのか?」

田口さんからは

印旛沼のチャプターと河口湖のチャプターには出た方が絶対いいぞ…やだしやる気があれば…」
「やります(注・負けず嫌い10段)!!」

こうして修行の日々が到来し今日に至る次第である。
そして、チーム天ノ邪鬼の会長である私は高橋前会長と共に盛り上げるべく奔走もする毎日でもあった。


当時の回想は
JBTA当時の大らかさは確かにあった。
時代も良かったと思う。
釣りの試合とはいえ皆が燃えていた。
SHINGOも燃えていた。
ただ我武者羅に…。



『絶対に優勝してやる!!!!』



これが原動力であったように思う。
だから今があるのかと…。


優勝回数は
KB韓国戦・・・・・2回
JBマスターで・・・1回
JBワールドで・・・1回
JBTOP50で・・1回
合計5回であるが…

初優勝をするまで10年かかりましたが…。

続く・・・?