希望と憂い

黙祷から始まる。
黙祷は続く。

日が経つ毎に情報は混乱している。
錯乱といいだろう。
世界でも例のない大災害。
地震津波原発事故という連鎖が、景気の低迷した日本を襲ったのだから。

ここからは個人的な独り言である。
大災害の対応と原発の対応の情報が交差する毎日。
それに伴う賛否両論ばかり…その合間に買占め、犯罪が暗躍している。
ニュースに上らない被災地も多い。また悲惨で悲壮な事件や犯罪があまりにも多く発生している…とても復興にむいていない気がするくらいに…。

「復興に向かうにはどうすればいいのだろう?」

ついつい責任問題を叫びたくなる。
「国民が選んだ政府に責任があるのか?」
「報道を司るメディアが報道の原理、原則を忘れジャーナリズムの精神が崩壊した事に責任があるのか?」
その報道を伝えるマスメディアが視聴率を優先しているから混乱に拍車がかかるように思う。

「専門家の意見というが、こんな状況を説明できる専門家はいるのか?」
責任を伴わない打開策?や説明?をするのは混乱しか招かないだろうか。

その報道による情報でネットワークメディアが拡散する。
良い話ならいいのですが、原発問題という専門知識が必要な場合は解釈によってデマやパニックを誘発しているように思う。

「何を、どれを信じて行動すればいいのか?」

自分で考えて勉強して判断して行動する以外にないという答えになる。
あくまでも私の個人的な独り言である。
私は、パーソナルメディアを元に稚拙であるが勉強できる事は勉強して情報のフィルターをかけて自分の判断で行動している。それでも何度も躓くのですが…。
自分の判断で釣りの仕事どころではないと判断し、JBTOP50の第一戦が四国高知県であるのですがプリプラに行く予算を支援活動や支援物資で使ってしまった。微々たるかもしれないが私には大切なお金であるが、使えて良かったと思っている…上手く説明できないが誰のためでもない。


「今の私には明日に繋がればいいので…」