バスプロ家業

バスプロという家業を生業として5年程が経ちます。
それまでは、リーマンプロと歌われてチヤホヤされていました。
「リーマンでの試合は大変だから応援します…」
「リーマンの代表みたいだから応援します…」



私も一般企業の分析センターという部署で分析官として勤務していました。
週休2日(月初めは出勤、祝日があった場合も出勤)というサイクルでバスプロをしてました。
年間釣行記は40〜50日位で、JBマスターシングルゼッケン。その後のワールドプロ、TOP50時代も10年戦いました。




「リーマンでなければオレの価値はないのか?」
「リーマンを止めたら応援はしないのか?」




そんなジレンマを感じながら試合をしてました。
ほとんど練習もしないまま。

それでもバスプロの中でもトップに並びたい…今も変わらないまま切実に思い願い行動してます。

会社を辞めて、バスプロの道を歩んでいます。
生れつきの天邪鬼の意地でしょう。
なんのアテもなく…。


初めて、トップカテゴリーから落ちて一年が経ちます。
不思議な事に仕事は増えてきてます。

様々な『ルアー』を世に出せました。


『SHINGOフィッシングスクール(エンスークラブ)』も…



・金曜日に、川越水上公園にてトラウトの取材です。
・土曜日に、吉羽園様でスクールです。
・日曜日に、しらこばと水上公園で仕事です。
・火曜日から金曜日まで和歌山県に取材に行きます。
・土曜日、日曜日に、河口湖です。


すると
「バスプロって何ですか?」
という文が頭に過ぎります。
昔は分からなかったのですが、今は明確に分かります。



このように成長したのも、不思議なめぐり合わせがあったからです。
全ての事柄に感謝です。